「仕事を辞めたい」。 誰もが一度はそう考えたことがあるだろう。 将来への漠然とした不安、仕事のつらさ、人間関係のストレス、職場で感じる孤立…。 理由は人それぞれだが、誰もが心の中で一度は経験したことがあるはずだ。 もちろん、私も何度かそう思ったことがある。仕事でミスをしたり、人間関係がうまくいかなかったりすると、「なんとなく辞めたいな」と考えることはあった。
しかし、本気で会社を辞めようと決意したことが、たった一度だけある。

◇「なんとなく」が招いたブラック企業への入り口
今から十数年前、私が学生の頃はやや売り手市場で、先輩方は割と早めに就職が決まっていた。正直、私は特に夢や目標など全く無く、どんな業種や企業に行きたいかなんて考えていなかった。なんとなく学生生活を送り、なんとなく就職して、なんとなく普通の人生を送るものだと考えていた。
いざ就職活動をする年になると、アメリカのリーマン・ブラザーズの倒産の影響で、今まで売り手市場だったものに陰りが出てくるようになった。私はその影響をもろに食らう前の年だったため、なんとか1社だけ内定をもらうことが出来た。
内定をもらってからは、ほとんど就職活動をせずにダラダラと時間を潰していた。就職も決まったし、これ以上はお金も時間も精神的にも負担がかかると言い訳し、めんどくさがっていた。
今考えると、やはり真面目に就職活動をしなかった結果がこの現状を招いているんだと、つくづく思い知らされることになる。

◇儀式と自腹営業。入社初日に感じた強烈な後悔
最初に内定をもらったという、たったひとつの理由で入社を決めた私は、当時全く興味も関心もなかった製品を扱う会社に入った。
しかし、入社初日、私はすぐに強烈な後悔をすることになる。 時代遅れの朝礼と社訓唱和。 それはまるで軍隊の行進、いや、宗教的な儀式のようだった。 「ヤバいところに来てしまった」 その時の強烈な後悔を、今でもはっきりと覚えている。
当時から会社はブラックだった。
頭のオカシイ朝礼や時代遅れの社訓唱和にはじまり、もともと少ない休みに加えて、
有給休暇も事細かに何をするか理由を書かなければ受け取ってもらえなかった。驚いたのは、結婚式で有給休暇を取ろうとした際に、上司から招待状のコピーを求められたことだ。
どれだけ休ませたくなかったんだろうか。そういうことで、私用での有給休暇はほとんど
取れなかった。私用の際は、結婚式と嘘をついて招待状を偽造して休んでいた。
その中でも辛かったのが自腹営業だ。
私は入社してから数年は営業職だったため、毎月ノルマがあった。
毎月毎月ノルマを達成できればいいが、頑張ったとしても目標に届かない月もあった。しかし、それは許されない。商品の中で比較的安めのものを自腹を切って買うことで、会社に対する誠意を示すという風習があり、忠誠心を試すような悪しき習慣だった。先輩から「俺は自分で買ったけどお前はどうする?」と言われたら買わざるを得ない…。そんな状況だった。中には、かなり高額な商品をローンを組んで購入していた先輩もおり、一体何のために働いているのかわからなかった。

◇異動先は動物園?個性強すぎる愉快な仲間たち
入社して数年後、営業職から総合職への異動が決まった。 今まではお客様を相手にしていたが、これからは社内の人間が仕事相手になる。 そして、その個性豊かな面々に、私は圧倒されることになった。
老害社長の下で働く役員たちは非常に個性的で、若手の「おぼっちゃまさん役員」は瞬間沸騰湯沸かし器のようにすぐに癇癪を起こし、ハエたたきで部下を叩いたり、ボールペンを投げつけて壊したりとパワハラの総合商社のような人だった。
営業部長はものすごく声の大きい方で、とにかく怒鳴る怒鳴る怒鳴る。フロア中響き渡る
怒号は耳を塞ぎたくなるほどだった。営業成績は「気合と根性でなんとかしろ」という昭和のタイプの人間で、実績が出ない社員へは電話口でとにかく鬼の用に怒鳴り続けた挙げ句、受話器を思いっきり叩きつけるものだから何回も電話を修理・交換していた。
他のお偉いさんもそれを真似しているのか、まぁよく怒鳴る。しかもタチが悪いことに、
ターゲットとなる社員をデスクの前に立たせた上で1時間前後繰り返し詰問を行う。しかも
途中でまた感情的になって怒鳴り始める始末。
そんな役員ばかりなので、だんだんとそれを真似してくる社員も増えてしまい、
「怒鳴る・物に当たる=偉さの象徴」という最悪の環境になってしまった。

◇真面目な人間が一番損をする腐った環境
そんな会社でも、私を含め、真面目に働く社員はたくさんいた。会社はそういった社員のおかげで回っていた。しかし、評価されるのは、コバンザメのようなイエスマンばかりであった。
私は、どんな仕事でも引き受けた。丸投げされた仕事も、他人の細々とした業務も、厄介な調整役も、雑用も、嫌いな上司との飲み会も、上司からのパワハラも、様々な改善に向けた提案も、すべて真正面から向き合った。朝早くから夜遅くまで、できる限りの最大限の努力を続けた。
それでも、労働環境は一向に変わることはなかった。役員は自分たちの金と保身だけを気にかけ、一般社員はまるで奴隷のように働いている。そして、大した仕事をしない一部のイエスマンだけが、得をする。
致命的な出来事があったわけではない。ただ、こうした様々な現実が積み重なり、自分の未来が見えなくなった。漠然とした不安に駆られたことを鮮明に覚えている。
本当に会社を辞めるべきなのだろうか。
また一から就職活動をするのか。
履歴書を書いて面接に行くのか。
知り合いの会社を頼るべきか。
それとも、いっそ独立するべきなのか。
心が、もう諦めていた。

◇立ち向かうきっかけをくれた、元上司の言葉
私が営業だった頃の上司は、とても懐が広く、ユーモアのある人物であった。その人は、どんなに理不尽な指示にも笑い飛ばすような強さを持っていた。
その上司も会社の現状に耐えかねて辞めてしまったが、今では自分で会社を立ち上げ、順調に経営している。
私はふとその上司のことを思い出し、本当になんとなく電話をしてみた。
久しぶりに連絡したのにも関わらず、相変わらず気さくな感じで、挨拶もそこそこに数日後に会って話すことになった。
私は手土産を持って元上司の会社を訪れた。「まさかお前から手土産をもらうようになるとはな…」と元上司は笑いながら話した。
私は、今の会社の状況や、自分が抱えている悩み、そして「辞めたい」と思うに至った経緯を、洗いざらいすべて話した。元上司も、自分が辞めてから会社がどうなっているのか少し気になっていたようであった。
そんな中、元上司は「困ったらいつでも雇うよ。ただ、一度会社と戦ってみてもいいんじゃない?」と少し笑いながら話した。
「会社と戦う」、その時はまだ何とも思わなかったが、これが後に大きな後押しとなる。

◇覚悟を決める時
元上司に相談したことで、自分の身の振り方を本気で考える時間が増えた。意外と周りの人間は優しく、本当か冗談かはわからないが「うちの会社に来ないか」と誘ってくれる人も少なからずいた。
そんな中、「会社と戦う」という言葉がずっと頭の中にあった。
そもそも、なぜ自分が腐った奴らのせいで辞めなければならないのか。
私が辞めたところで腐った会社、腐った奴らは甘い汁を吸い続けることになる。
だとしたら、会社を辞めるつもりで一度会社と戦ってみてもいいんじゃないかと。
万が一何かトラブルが起きたとしたら、その時に辞めてしまえばいいじゃないか。
そう思うようになった。
諦めていた心が、また動き出した感覚があった。
これは、ある意味「復讐」なのかもしれない。どうしても腐った奴らに一泡吹かせたい。そんな思いが、今の私の原動力だ。
私は、会社と戦うことが賢い選択ではないと知っている。無理して戦う必要も、厳しい環境に耐える必要もない。本当は、さっさと転職して、より良い環境で仕事をするのが一番賢いだろう。
もし、私と同じ境遇の人がいるならば、決して無理に戦う必要はない。当然、リスクも伴う。それでも、私はこのままでは終われない。一歩ずつ、確実に前に進んでいく。

  
  
  
  



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